地域を育む人と企業

千代田流、経営の極意

新築一戸建てや中古マンション・一戸建てなどの売買・仲介、物件買取などを手掛ける 『不動産コンシェルジュの千代田』

 

お客様一人ひとりと時間をかけて向き合い、心から満足してもらえる不動産との出会いを提供する。

本日は、タレントのつちやかおりさんが千代田社長のもとを訪問。長く業界を歩んできた社長に、これまでのお話を伺った。

「つちや」 早速ですが、千代田社長の歩みから。

 

「千代田」 父がカメラが好きだったことから私も興味を持ち、もともとはカメラマン志望でした。専門学校で学んだ後は東京・青山のスタジオで働いていたんですよ。スタジオマンとして重要な現場にも入っていたのですが、より良い環境で仕事をできるようにとスタジオマネージャーに働きかけたところ、思うようにいかず、10ヶ月ほどで退職。カメラマンを目指したかったところですが、その道で生計を立てるには相当センスがなければいけません。また、私はシリアなど内線が起きている土地へカメラマンとして取材に行き、自分の写真で現地の様子を発信したい-報道写真を撮りたかったんですね。しかし語学力がなかった為、まずは語学の勉強をすることにしたんです。そのための資金づくりをと考えていたところ、縁があって入ったのが不動産会社でした。

 

「つちや」 それが、現在につながっているのですね。人生とは何がきっかけで変わるか分からないものです。

 

「千代田」 ええ。専門学校時代の友人の親戚が東京で不動産を営んでおり、営業マンを募集していると声を掛けてくれました。「お金を貯められるぞ」と言われて働いたのですが、結局、目標金額には全く届きませんでしたね(笑)。

 

「つちや」 それでもそのまま業界に腰を据えられたのですから向いておられたのでしょうね。

 

「千代田」 とはいえ、バブルが弾け始めていた頃で、不動産が売れず、大変な時期でした。でも、それが却って良かったと思うんです。バブル期は、業界のいろはも分からない若者でも楽に数百万円の契約を結べるような状況でしたから、そんな商売を経験してしまうと、どうしても感覚が狂ってしまうでしょう。私は、そんな良い時期を知らないからこそ、こうして今、事業を手掛けられていると思うんです。

 

「つちや」 確かに、一度楽に稼げることを味わってしまうと、不況を乗り越える力は身についてないかもしれません。

 

「千代田」 そう思います。また、私は大学を出ていない為、学歴で負ける分、どういった知識やノウハウを得ておくべきかを考えて必死に勉強しました。そうして初めてご契約が成立したお客様の事は今でも忘れもしません。一カ月で26回も面談し、色々な話をする中でプライベートなご事情なども知るに至りましてね。27回目の面談で売買契約を結びまして、最終的にお力になれた時は本当に嬉しかったです。そちらに9年半ほど勤務して退職し、次の事を考えていたところに不動産の仲介業だけでなく建売住宅の販売など事業柱を増やしていくことをお考えの経営者から声をかけて頂きまして。それまで仲介業しか経験がなかったので良い勉強になると考え、お世話になることにしました。営業職とはいえ、建築の知識も求められる為、必死に駆られて勉強した事が今でも大いに活きています。現場にも入らせて頂き、自社が扱う住宅がどう建てられていくのかをみさせてもらいましたから、お客様に自信を持って営業する事ができました。その内に、不動産の用地仕入を担当する仕事に移ることに。未経験でしたから、また一から勉強することになりました。

 

「つちや」 様々な仕事を経験することで、着実にノウハウを蓄積してこられたのですね。

 

「千代田」 はい。やがて再び営業職に戻るよう会社から打診され、そのタイミングで退職を決めました。そして、こちら故郷・福岡に戻り、地元のマンション業者で数カ月、さらに大手不動産会社で12年半に亘って勤務したのです。そちらでは、責任ある役職も任せていただき、新部署の立ち上げという貴重な経験もしましたね。ただ、営業マンの力にムラがあり、それによって業績が安定していませんでした。そんな状況を会社は懸念し、私が再び営業として現場に出ることになりまして。社内にいるよりも直接お客様と接する方が好きでしたし、向いていたのでしょうね。「好きこそ物の上手なれ」と言うように、楽しんでやっていると成績も良かったんです。

 

「つちや」 営業マンの力にムラがある状況で成績を上げられたとなれば、会社にとって社長は稼ぎ頭だったのでしょう。

 

「千代田」 徐々に会社から求められる仕事が変わっていきました。全国に営業マンがいるのですが、皆の能力を向上させて均一に保つためのシステムを会社がつくったんですね。営業マンとしての仕事よりも、そうしたシステムを確立する為の仕事を求められるようになったんです。でも私は、営業に回りたい-動きにくい環境となってしまった為、退職したのです。

 

「つちや」 そうして満を持して、独立を。

 

「千代田」 ええ。2015年8月に退職しました。独立は2014年の春ごろから考えていましたので、随分と時間が掛かってしまいましたが(笑)。

 

「つちや」 それだけ会社から必要とされていたという事だと思います。今後については?

 

「千代田」 蓄積してきた経験を活かすという意味で、これまでの延長線上で足もとを固めていきます。規模拡大などよりも、目の前のお客様一人ひとりとじっくり向き合う仕事がしたいですね。組織を離れ、自身の裁量で動くことが出来ますから、どうすればお客様のお役に立てるか-その一点を何よりも大切にしていきます。それこそが、私がしたい仕事ですから。

 

 

「現場ありき」の姿勢を持ち続ける

どんな業種であっても、勤続年数を経て、また社内での立場も上がると現場から遠ざかってしまうものだ。

しかし、現場ありき-そう考え、常に現場第一線で働くことを希望する人は多い。

 

千代田社長もその一人。

 

独立前まで勤務していた大手不動産会社では12年半に亘って働き、責任ある役職を経験するだけでなく、一営業マンとしてその能力を買われた。

組織は規模が大きければ大きいほど、社員の能力の均一化を図ることが困難となるが、会社はその均一化のために働くことを社長に望んだ。

 

「自分は営業に回りたい」と願うも叶わず、営業マンの本分を果たせない日々。そうして社長は、長年勤めた会社を離れる事を決意する。

今、お客様と直に接することが出来る喜びを感じているという社長。

 

最適な不動産を提供することで、生まれ育った福岡の人々の暮らしに寄り添いたいとの強い想いが、原動力だ。まだ始まったばかりの『不動産コンシェルジュの千代田』。

 

お客様の”コンシェルジュ”として、不動産に関する幅広い相談に応じていく。

千代田茂代表取締役

[2016年3月号 VOL.228]